日本文化目次
新年の祭り (お正月)
ひな祭り (桃の節句)
端午の節句
(こどもの日)
星の祭り (七夕)
月見
バレンタインデー
日本のクリスマス
月の名前
日本の数字
日本の文字
ローマ字
日本のアルファベト
(いろは歌)
日本人の I はいくつ?
   You はいくつ?
日本人は妻をどう呼ぶの?

日本人は夫をどう呼ぶの?
トップページ建設用語中辞典
(英仏独和)
世界の文化世界の国名・
 国旗の由来
英語版
 日本の文化
韓国地図検索ソウル地図検索済州道地図検索県別自治体リンク50音自治体リンク
面白いサイト面白い英語の言葉作者のページ
(更新状況)
スパム紹介(日記)お問合わせ
人気サイト

 佐藤渡辺のホームページを見に人に、舗装の話ばかりでは退屈だろうと、日本の祭りとか、外国の人に興味のありそうなことを紹介していたのですが、研究所のさる女性から何が書いてあるのか見たいとの仰せがあり、美女の言うことには一も二もない私は、逆に和訳することになりました。外国のひとにこんな感じで紹介しているのだな、と見てください。

新年が近づくと、もし、昔通りの正月を祝おうとすると、人々は正月用の食べ物や飾り物の準備でたくさんの仕事があります。 新年の日には、Toshigami-samaという神様が私たちのところにやってきます。 ですから、彼を歓迎するために玄関には ShimeNawaという飾り付けをします。左側の写真は美浦村のお年寄りたちが作ったばかりのShimenawaです。*1

Kadomatsu*2

Kagamimochi*3
門はKadomatsuで飾らなければなりません。そして家の中では、 KagamiMochi (お米を お月見のウサギがしているように、ついて団子みたいにしたものです。)を年神様に捧げなければなりません。
  このようにして、人々は収穫を司る年神様に豊作をお願いするのです。こうした仕事は全部、男たちの仕事です。今では、こうしたものはスーパーマーケットで売られていますが。
女の人たちは正月の三が日に料理をしなくてもいいだけの、 Osechi という料理を作ります。 "Osechi foods"はJyuhbakoとか O-jyuh と呼ばれる重ねることのできる箱のなかに美しく盛りつけます。 Jyuhbako or O-jyuh (この O は丁寧さを表すもので、jyuh は重ねることのできる箱・ Jyuhbako を縮めたものです。Osechiを作るのは大変な仕事です。近頃は Osechi のセットがスーパーマーケットで売られていますけど。お正月の代表的な女の子の遊びは HagoitaKarutaです。 Hogoitas バドミントンのラケットのようにして使います。もちろん、 Hagoitaの裏側の方を使いますが。 hane と呼ばれるシャトルは一種のクルミの実と鳥の美しい羽を使ってできています。*4
Karuta は 100 組の昔の 31 音の和歌と、その作者の肖像とのセットです。*5.

男の子たちの代表的な遊びは koma (spin> 回しと tako たこ揚げです。
ここにあるカードは31音の日本の和歌と、Jitohその作者の持統天皇という女性の天皇のセットです。昔は日本にも女性の天皇がいました。


#1:この写真は下のURLから借りたものです。リンク切れになりました。(04/Feb/17)
http://www.joyoliving.co.jp/1997/1122/gantan.html
*2:Kadomatsu の写真は下のURLから借りたものです。リンク切れになりました。(04/Feb/17)
http://www.hellonet.or.jp/~joa/shogatu/ensyu/ensyu1.html
*3:この Kagamimochi の写真は下のURLから借りてきたものです。そこにはもっといろんな写真があります。
*4:この Hagoita の写真は下の URLから借りてきたものです。そこに行くともっといろんなのがあります。
*5:Karuta のカードは 100枚の和歌という短い詩が31音の全部と作者の肖像が書かれた Yomifuda と、和歌の最後の14音が書かれた 100枚の Torifudaからできています。 Torifudaは、ばらばらに床にばらまかれます。 Yomite が、和歌をメロディーをつけて読みます。プレイヤーは読み手が呼んだカードをほかの人より早くつかみ取ります。プレイヤーは勝つためには、ばらまかれたカードの場所と、31音の和歌を覚えておく必要があります。このゲームは記憶力と素早さのゲームです。新年には Karutaチャンピオンシップも開催されます。昔は、このKarutaのゲームは男の子が女の子と一緒に遊べるきわめて稀な機会を与えるものでした。ひょっとして、女の子の手に触れるチャンスもあったわけです。昔は男女は三歳にして席を同じうせず、と教えられていたのです。多分、中国から伝わってきた慣習だと思いますが。