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 佐藤渡辺のホームページを見に来た人に、舗装の話ばかりでは退屈だろうと、日本の祭りとか、外国の人に興味のありそうなことを紹介していたのですが、研究所のさる女性から何が書いてあるのか見たいとの仰せがあり、美女の言うことには一も二もない私は、逆に和訳することになりました。外国のひとにこんな感じで紹介しているのだな、と見てください。



世界の文化・アメリカ

チェロキーの薔薇の伝説をご紹介します。

チェロキーのばらの伝説

(チェロキー族の涙の行路)

そも、アメリカはジョージアにて、金が見いだされしとき、
時のアメリカ大統領はチェロキー族との約定を破り、
彼らをオクラホマに追いやりたり。
時は1838年、1838年にまたがる、この西への長旅にて、
四人に一人は帰らぬ人となりたり。
女たちは、その子らを生き長らえさせること、叶わず。
生きてあれば、チェロキーの再起の礎になる子らを。
女たちの嘆き、泣き叫び。
かくて、長老たちは、祈りたり。
女たちの心を和らげ、力を与えんものと。
天より、これを見し、神、
チェロキーの勇者の血と、女らの涙、
この、地に落ちしものを記憶に留めんものと、
その、血を石と変えたり。
その形こそはチェロキーローズ。
あくる朝、女たちの涙の落ちしところからは薔薇が生でたり。
その色は、涙のゆえに白かりし。

そのオクラホマに至る行路に沿いて、今も白き薔薇、生い出ず。

 私どものホームページを訪ねた人たちが、自分のサーバを持っていると、そのサーバの持ち主が分かります。そうした中に、Cherokee Nation Enterprisesというチェロキー族財団とでもいうべきところからの訪問がありました。チェロキー族の文化の保存をしているのだと思います。cherokeeは研究社の辞書で調べたら、オクラホマ州に住むインディアン、とありました。車の名前としてのチェロキーを知っている人は多いと思います。ホームページもあるようなので、このページを作ることを思い立ちました。実際には、ここのホームページは非常に豊富な内容があるのですが、目当ての祭りの類はあるにはあったのですが、世界各国の蛇を集めた蛇祭りとかで、私の趣味に合いませんでした。


 この記述はTrail of Tearというページ(なぜか、元のサイトはリンク切れになり、下のStories along the Trailにまとめてあります。)を見つけて、その内容をちょっと感情移入して翻訳したものですが、内容はこのとおりです。

 チェロキーの薔薇は、今はジョージア州の州の花になっています。Stories along the TrailThe Cherokee "Trail of Tears" には、ちょっと無味乾燥な事実の記述があります。

 このバラはおそらく、直接、中国から、あるいはイギリスを経由して、少しばかり後にアメリカに入ってきたものとされている。 この説は、ある著名な園芸学の大家も認めていて、その時日も1757年と特定している。
 チェロキーローズ、というのはこのバラを広めたチェロキー・インディアンのローカルな呼称であって、よそでは rosa sinicaという学名で知られている。野生で生えて、 高くはいのぼり、しばしば、ブドウ棚の形を呈し、とげが非常に鋭いが、有り難いことに生き生きとした葉を茂らせる。花の時期は早春であるが、条件が良ければ秋にも開花する。花の色は青白い白で、中心は大きな黄色で、花びらは極上のベルベットの手触りである。その、たくましさは、生け垣に適し、南部地方一帯では非常によく見られる。

チェロキーローズの写真を紹介しておきます。
 最近、ぺこの植物園というところで、日本名はナニワイバラだということを知りました。堺の商人が輸入したものらしいです。学名は laevigataの方が正しそうです。これはスベスベと言った意味で、花びらの手触りを指しているようです。sinicaは「中国の」という意味で、rosa sinicaでは中国バラという一般名称になります。
 ところで、このチェロキーローズが実は明の永楽帝の時代、鄭和がコロンブスよりも70年も早くアメリカを発見した大航海でもたらされたという説というか想像があるようです。鄭和の航海記録は妬みとかで焼き払われたということで、確かめようはないと思いますが、もし、イギリスから先にもたらされたとしたら、どうしてチャイニーズローズとかの名前にならなかったのか疑問は残ります。イギリス人もいたでしょうに。鄭和の航海記録は焼き払われたといっても、かき集めれば、かなりのことが分かるようです、100隻以上の大艦隊で、日本人、琉球人も加わっていたとか、アメリカ到着後、四方面に分かれて、それぞれどういう経路をとったとか、どこそこで、何隻失ったとかの記録があります。バラを本当にこの苦難に満ちた大航海に持ち込んだとするとすごいことです。まあ、いろいろの書評を見ると、読み物としては面白いが、内容は想像の産物ということのようです。


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