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 アフリカの南部の国々の歴史を調べていると、バンツー族、(バンツゥ,バントゥーとか表記されることもあります)が北から、西から移動してきたという記述にぶつかります。いったいこの人たちはどこから来たのか調べてみました。wikipediaに詳しくでていたので、その要約です。

 バンツー族はカメルーンから南アフリカにかけて400以上の部族が居て、バンツー語に属する言葉を持ち、かなりのところ共通の習慣をもっているそうです。これが10世紀以降に急速に赤道から南のあふりかに浸透していったということです。
 バンツー族が来る以前のアフリカの南半分はコイサン語 Khoisanを話す人々がいたようですが、今ではツワナとナミビアのかけてのカラハリ砂漠と、タンザニアの一部にいるだけということです。ほかにもいくつかの言語があったようですが、入れ替わってしまったらしいです。
 バンツー族の起源について疑問を持つ人は昔からいて、二人の学者が言語学からアプローチしています。
 まず、1963年にJoseph H. Greenbergという人が数百のアフリカの言語を分析してナイジェリア南東部の言葉がバンツー語の祖先らしいとし、それが南と東に数百年で広がったとしています。
 ところが、すぐに Malcolm Guthrieという人が、最も典型的なバンツー語はザンビアと南ザイールの言語だと結論しました。ということは、バンツー語は全方向に広がっていったということになります。
いろいろ国名が出てくるのでアフリカの地図を別画面に開くといいでしょう。
 では、どちらかが間違っているかというと、そうではないようで、
現在の通説はこの二つの説を合成したものになっています。バンツー族はまず、ナイジェリア東南部のBenue-Cross川付近から南東方向のザンビア地域に広がっていった。それは紀元前一千年代のいつごろか、サハラ砂漠の乾燥か、そこにいた民族が流れ込んできて押し出されたかしてアフリカ中央部の熱帯雨林に移ったというわけです。これが phase Iです。千年ぐらいして、もっと急速に熱帯雨林から南部、東部へと広がっていきました。これが phase IIです。次の一千年代にはザンビアあたりで新しい農耕技術が多分、東南アジア方面から伝わってきて今度は人口爆発でしょうか?ここを中心として広がりました。これが phase IIIというわけです。

 1000年語らには現在のジンバブエ、南アフリカにまで達し、ジンバブエ遺跡で知られる帝国を築きました。彼らはアラブの商人と金、銅、宝石、象牙などを交易していたということです。14世紀か15世紀には資源が尽きてジンバブエ遺跡は放棄されたというわけです。
 彼らがさらに南に南下しなかったのは彼らの家畜や栽培植物が南の地中海気候に適しなかったからだろうということです。その後、ヨーロッパ人が進出して地中海気候に適した農業技術を持ち込んで、それがバンツー族の南下を再開させたようです。
 1652年に Jan van Riebeeckが南アフリカの沿岸をまわったときには、バンツー族
はほとんど居なくて、喜望峰付近の原住民の主流はコイサン族でした。18世紀後半にユグノーと呼ばれるオランダはフランス、ドイツの新教徒たち(彼らはボーア人とか後にアフリカーナと呼ばれるようになります)が植民を始め、100年ほど過ぎて 1770年頃にはボーア人はバンツー族が南アフリカの住民の主流になっていることを知りました。19世紀になると彼らとの戦いがひんぱんに起きます。
 ジンバブエ遺跡が放棄されたころには喜望峰の西と北を残して南アフリカ全土に住み着いていました。そして今度はバンツー族がいくつもの部族に分かれます。ングニ族 Nguni、それはまた、コサ族 Xhosa、ズールー族 Zulu、スワジ族 Swaziなどの支族に分かれます。彼らは東海岸
の平野部と、Sotho-Tswanaと呼ばれる多分、プレトリアからレソトにかけての高原地帯に住み着きました。
 コサ族は最も南にいた部族ですが、次第に南西部に移住してきてオランダ人の喜望峰の植民地の北東部に達します。一方、ズールー族は19世紀初めには目立たない存在だったのが、族長・シャカ Shakaが登場して、やはり大きな部族の ムテツァ Mtetwaと同盟します。この部族は現在の Kwazulu-Natalの北方の地をンドゥワンドゥェ族 Ndwndweと争っていました。このシャカは軍隊組織をはじめとして政治を組織化して中央集権国家を作り上げます。また、うち破った部族を同等の権利を与えて同化していきます。これらは、これまでに見られなかったことでした。そして、ついには同盟していたンドゥワンドゥェ族も傘下に納めます。1825年には東海岸から西はプレトリアからレソトを結ぶDrakensberg山脈まで、北は現在のスワジランド国境付近から南は現在の East London付近までを席巻する帝国を築きました。このあたりの地名は南アフリカの大地図を参照してください。
 ズールー族から分かれた支族のクマロス族 Kumalos、あるいはマタベレ族 Matabeleもトランスバール地方からジンバブエにかけての大帝国を築きました。 シャカはイギリスの探検家と接触して近代化が必要なことを悟り、その緒についたところで義兄弟によって暗殺され、その義兄弟は指導力に欠け、ボーア人に敗れますが、その後継者はボーア人を押し返して、イギリス軍にも手痛い敗北を与えたりしました。

 いろんな部族、支族をまとめておきます。大きな部族はングニ族 Nguni、ソト族 Sotho、ヴェンダ族 Venda、およびツゥォンガ族 Tsongaの四つですが、それが下のように分かれます。

ングニ族
Nguni
北部ングニ族スワジ族 Swazi
ズールー族 Zulu
南部ングニ族ムフェング族 Mfengu
ムポンド族 Mpondo
ムポンドミズ族 Mpondomise
テムブ族 Thembu
コサ族 Xhosa
シャンガナツォンガ族 Shangana Tsonga
ソト族 Sothoバソト族 Basotho (南部ソト族 Southern Sothoとも)
北部ソト族ロベヅ族 Lobedu
ペディ族 Pedi
ツワナ族 Tswana (西部ソト族 Western Sothoとも)
ヴェンダ族 Venda
レムバ族 Lemba
 バンツー語ではあるが、ユダヤ教に似た宗教を持ち、他部族との通婚を厳しく禁じています。大昔にユダヤ人と何らかの関係があったようです。
 このほか、コンゴ民主共和国にはコンゴ族, テケ族、ジンバブエにはショナ族, ンデベレ族などが見えます。 しかし、これだけアフリカ大陸の南半分を埋め尽くすバンツー人が、ナイジェリアの南東部の一点から湧き出るように出てきて広がった、それも18世紀には100年くらいで急速に広がったというのは不思議です。とにかく、原住のコイサンより、高い文化を持ち、その文化を吸収するためにバンツー語が広まっていったのでしょう。