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ブルンディ(Burundi) .bi

首都 ブジュンブラ (8 万) (Bujumbura)

 アフリカ中央部の国; 公式名 ブルンディ共和国、人口 6,373,000(2002)。国土面積 10,759 km2。フトゥ族(フツ) 85%, トゥツィ族(ツチ) 14%, トワ族(ピグミー系) 1%. 言語: Kirundi, French (以上公用語), Swahili. 宗教: カトリック、土着信仰。 通貨: fran。もともと、アフリカ中東部の旧国連信託統治領でルアンダ-ウルンディ(Ruanda-Urundi)といっていたのが、名前も少しばかり変えて1962 年 Rwanda, Burundi に分離して独立したということです。
 1962年までの歴史はルワンダと共有していて、民族構成もほぼ同じなら言語も同じです。何で分離独立することになったか、というとフツ族とツチ族の間の紛争が微妙に関係しています。古い歴史はルワンダをみてもらうとして、近世については1890年にドイツがウガンダ、ついで、ルワンダとブルンジにも進入してルアンダ-ウルンディとして支配しました。ドイツが第一次世界大戦で敗北すると、国連の委任統治領としてベルギーが支配します。ベルギーはフツ族の上に支配階層としてツチ族がいるという構造を生かして、効率的に支配し、苛斂誅求をやったわけです。
 第二次世界大戦後、独立の動きが出てきたのですが、それがルワンダ側ではフツ族の方が主導し、ブルンジの方ではツチ族が主導したというわけです。いまだに殺し合っている二つの民族ですので、まとまるわけには行かなくなったということのようです。
 国名はこの国で広く使われている言語:Kirundiからきているんだそうです。
 国旗の三つの星はこの国のモットーである統一、仕事、進歩を表しているのだそうです。また、主要な三民族である Hutu族、Tutsi族、および Twa族を意味するとも言われています。赤い色は例によって独立の戦いほ意味し、緑色は希望を、白は平和を意味するそうです。
 ブルンジでもルワンダでも同じように、フツ族、ツチ族の間で大虐殺がくり返されています。この原因は何でしょうか? 作者なりに考えてみました。ツチ族は狩猟、遊牧民族で、その生活様式からして、そこかしこと移動し、異文化に接する機会も多く、戦いになることもあれば、その文化を身につけることある、ということで、武力、文化とも先進的だったろうと思います。ほとんど戦うすべを知らぬ農耕民族のフツ族を支配下に置くのは容易だったのでしょう。
 しかしながら、歴史の長い時間の中ではこうした支配民族はいずれ農耕民族に呑み込まれて同化するはずだったと思います。事実、言葉は完全に同化しており、通婚についても支配のルールとしては最初は禁止だったようですが、当然、支配民族の方が被支配民族の方に手を出すことは起こるわけで、子供がどちらの民族に属するかは、その父の民族によって定まるというルールになり、それもかなりゆるんで同化への道を進んでいたように思われます。
 ツチ族は端正な彫りの深い顔立ち、フツ族の方は鼻ぺちゃの日本人の方に親しみのある顔立ちというのがパターンなのですが、事実は見分けるのが難しい状況になっていたようです。ヨーロッパ人の介入がなければ、そのまま同化が進んで一つの民族になるはずだったろうと思います。ところが、ベルギーは、同化の過程をストップというか都合のいい部分を保存して歪ませてしまいました。これは一人、ベルギーが悪いわけではなく、ヨーロッパ人のすべてがアフリカを搾取の場と考えて行動したと思われます。
 SF小説で言えば、未来から来たヨーロッパ人がタイムラインを歪ませて持ち込んだ大量殺戮兵器が、本来、同化の過程で起こるには起こったかも知れない虐殺を大規模なものにしてしまった、ということだろうと思います。こうして歴史の流れが歪んでしまうと修復は極めて大変だろうと思います。国連が介入するにしても、今現在、虐げられている方を援助して立ち上がらせれば、次には逆の現象が起こること予想され、結局、遠巻きに他国に逃れてきた難民を保護するくらいしかできないのだろうと思います。つまるところ、フツ族とツチ族が自助的に民族和解するしかないということでしょう。

 この国では独立後、ツチ族の軍事政権が続き、フツ族の反乱があれば虐殺で応えるといったことが続いていましたが、1995年からタンザニアのニエレレ大統領を仲介として正常化の動きを見せ、1996年には多党化の道を開き、ニエレレ大統領の死後は南アフリカマンデラ大統領の仲介のもと、好ましい方向に進みつつあるようです。一応、フツ族とツチ族の入り交じった党もあり、ツチ族のみの党にしても「人民和解党」といったものもあるようです。
駐日ブルンジ大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)
アフリカの地図 →アフリカの呼び名の起源

↓ブルンディの地図