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中央アフリカ(Central African Republic) .cf

首都 バンギ (19 万) (Bangui)
 国際電話番号 +221

 公式名 中央アフリカ共和国 Central African Republic。国土面積 622,984 km2、人口 4,038,000人(2005推定)。バンダ族 ウバンギ族 バイア族 ザンデ族 サラ族 ピグミー族 バカ族など。 言語: French (公用語), Sango (国語). 宗教: キリスト教, イスラム教, 土着信仰. 通貨: CFA franc。
 長らく外の世界との接触は無く、19世紀はじめにイスラムの商人が入ってきて最初のうちは商売に精を出していたのが19世紀半ばから奴隷商人が跋扈しはじめて南東部の地域は住民がほとんどいなくなったようです。
 ヨーロッパ人が入ってきたのは19世紀の第四四半期でフランスが先鞭をつけ、ベルギー、ドイツ、イギリスは出遅れました。ここでフランスが儲けるためにやったことは、行政組織の代わりに13の会社に国土を貸し付けてその上がりをいただくという方法です。会社なるものは好き勝手に住民を強制労働させていたようです。一応植民地政府がチェックしてはいたようですが無駄だったようです。
 20世紀はじめには東部の方も奴隷狩りを進めて人が居なくなりました。1911年、モロッコの権益との取引で西部の方はドイツに譲り渡します。第一次大戦のどさくさにフランスが取り戻します。1920年代になると本格的に植民に乗り出し、眠り病に対して移動病院を作り、宣教師が来て内陸から海への道路、鉄道の整備にかかります。ここでまた住民を強制労働させて大勢が死にます。1928年にはかなりの反乱が起こりますが、フランスは実態を知られぬよう隠し通します。
 1930年代に入ると、綿、茶、コーヒーなどが換金作物になり、ダイヤモンド、金の採掘も始まります。ここでも苛斂誅求は相変わらずです。1940年代に入ると第二次世界大戦になり、その終結とともに政治は改善の方向に進みます。
 1958年、フランスの自治領になり、それまでのウバンギ・シャリ Ubangi-Shariのの名前を中央アフリカ共和国に変えます。そして1960年に独立を勝ち取ります。ですが権力争いに明け暮れ、軍政、民政が交互して、2003年では軍政で、まだ安定してはいないようです。2005年には一応、ちゃんとした選挙で大統領が選ばれたようですが、2006年には反乱があり、疑いのある男子がシステム的に虐殺されているという話があります。資源はダイヤモンドやウラン、金があって大したものですが、国民の 9割は一日 2ドル以下
で生活しているようです。
 国旗の青は空の色で、また広大さ、自由、偉大、静穏を、白は純真無垢、率直、勇敢、自信と尊厳、平等を、緑は希望と、信仰、誠実を、黄色は忍耐、親切、慈悲などを意味すると、実に欲張った意味です。また、上から下に通る赤い帯は、血の団結を意味しているようです。
アフリカの地図 →中央アフリカ共和国大使館 →アフリカの呼び名の起源

↓中央アフリカの地図