トップページへ建設用語中辞典
(英仏独和)
世界の文化世界の国名・
 国旗の由来
国名から探す
和訳・日本の文化韓国地図検索ソウル地図検索釜山地図検索作者のページ
県別自治体リンク50音自治体リンク面白いサイトスパム紹介(日記)お問合わせ
このページだけが表示されたときは、こちらをクリックしてください。

モルドバ(Moldova ) .md

首都 キシニョフ (68 万) (Kishinyov)

 モルダヴィア共和国 Republic of Moldavia Moldavia 東部にあったソ連邦構成共和国 (Moldavian SSR, 1941-91)で、 1991 年 Moldova 共和国として独立。国土面積 33,843km2。人口 4,320,490人(2007推定)。モルドヴァ人 (ルーマニア系) 65%, ウクライナ人, ロシア人など. 言語: モルドバ語: Moldovan (公用語), Ukrainian, Russian。モルドヴァ語は実はルーマニア語とほとんど同じのようです。ソ連時代に強制されたキリル文字を使うとまったく別の言葉のように見えますが、それも1989年には普通のラテン文字に改められました。ただし、キリル文字でないとわかりにくいという年代層もいるようです。 宗教: ルーマニア正教. 通貨: ruble
Danube 川下流域の地方・旧モルダヴィア公国が1859 年 Walachia と合併してルーマニアとなって、その後、ソ連の支配下に入って、複雑です。Moldaviaはルーマニア語表記です。
 国名はルーマニア東部を流れるモルドバ川に由来しています。スラブ語のmol「黒い」とdonav「川」で「黒い川」という意味だそうですが、ほかにも、もっともらしい説があります。まず、モルドバは、もともと、ルーマニアの一地方であって、今も大部分はモルダヴィアとしてルーマニアの中にあります。そしてルーマニアの一帯は、古くはダキア Daciaと呼ばれていました。それが 2世紀初めにローマ帝国の侵攻を受けて植民地となり、ルーマニアの国名の由来になったのはよく知られた話です。その後ハンガリーの支配下に入ったりしますが、1353年に、ハンガリー国王は Dragosというボイボド voivod を送りこみました。ボイボドは代官みたいなもので、武力も優れているわけですが、どこかの掲示板では、「古代ルーマニアの食人戦士」とか出ていました。そのDragosが狩りの獲物を追って急流にさしかかったとき、愛犬の Moldaが溺れ死んで、それを悲しんで、その川を Moldovaと名付けたというのです。その追っていたウルス urusという獲物は今は絶滅したそうですが、国旗の中にいる鹿みたいなのが、そのウルスです。追っていた犬は黒色で、黒という名前だったのかもしれません。そうすると二つの説が少しつながります。こちらの説の著者は学があって、語尾の "ova" あるいは "ava" について、ラテン語の"aqua"、さらにはイギリスに飛んで、シェークスピア・アポン・エイボンの "avon"と同じで、水という意味だということで、二つの説にまた接点が出てきます。
 国旗は中央の国章を除けば、お隣のルーマニアと同じで、別に関係が悪いわけではなさそうです。
 08/02/05 首都のキシニョフの名前の由来でこのページがヒットしたようです。Wikipediaによると「泉」という意味で、泉の周りに出来た町だったようで、「これがその泉だ」という泉もあるということです。もう一つ説があって、11-13 世紀にロシア南部にいたクマン人 Cumanというチュルク語系遊牧民(トルコ系でしょう)がモンゴル人に追われてやってきて、そのクマン語で寺院の納骨または礼拝用の地下室を意味する"kesene"を意味するというのが示されていますが、これがキシニョフに変化するというのは理解できません。
 モルドバの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
ヨーロッパの地図

↓モルドバの地図