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モンテネグロ (Montenegro)  .me

首都 ポドゴリカ
  (Podgorica)
(169,132人 2003年)
 国際電話番号 +382

 分解した旧ユーゴスラビアを構成していた国の一つです。

 Serbia, Vojvodina, Kosovoの連合国家です。国土面積 88,361 km2。人口 630,548人(2004)。国土面積 13,812 km km2。Serbia はセルビア人 66%, アルバニア人 17%, Montenegro はモンテネグロ人 43.2%, セルビア人 32%, ボスニア人 7.8%, アルバニア人 5.03%。イスラム系 3.97%, クロアチア人 1.1%, ロマ人(ジプシー: roma)など 0.46%などです。言語: Serbian, Albanian。 宗教: セルビア正教, イスラム教, カトリック。 通貨: dinar。
 旧ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国からクロアチア Croatia、スロベニア Slovenia、ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosnia and Herzegovina、マケドニア Macedonia の各共和国が分離独立した残りのセルビア・モンテネグロが 2006年5月21日のモンテネグロでの国民投票で僅差ながら分離独立が選択され、どうなることかと思いましたが6月 3日にはモンテネグロが独立を宣言し同年 7月、セルビアはユーゴスラビアの後継国家として名乗りをあげました。
 旧ユーゴスラヴィアの中で唯一、アドリア海に面しています。ですが全体としては山国です。首都はポドゴリカですが、日本の京都のような王都としてセティンジェ Cetinje(正しい発音はツェチニェらしいです。)があります。スラブ民族と多分トロイと関係の深いイリュリア人 Illyrianが入り交じって10世紀には ドゥクリア Dukljaという半独立国を形成していたようです。中世にセルビア人の公国ができますが、その大公 Grand Princeはドゥクリアの出身だったということです。最近では悪名高いミロセビッチ大統領もモンテネグロ人で民族構成から言ってもセルビアとあまり違わないようです。
 その後、14世紀にほぼモンテネグロの地にゼータ Zetaという侯国ができます。この国はオスマントルコが南と西を占領する中で完全には支配下に入らなかったということです。1516年には当時の大公が大司教に譲位し、領主司教 prince-bishopということになり、セティンジェに都を置きます。それからずっと後、1851年にこの領主司教が結婚して司教ではなくなり、ただの侯国になります。wikipediaの記述が飛んでいますが、これが多分、モンテネグロ王国になったのだろうと思います。国際的に認められたのは1878年のベルリン会議の場のようです。
 1910年にニコラI世が即位し、1912年にオットーマントルコに宣戦布告し、二つのバルカン戦争の引き金を引きます。対抗してオスマントルコがマケドニアの近くに軍隊を終結したところをギリシャ、セルビア、ブルガリアが束になって攻めかかってオスマントルコを退却させ、領土も拡大しロンドン会議で認められることになります。
 第一次大戦では連合軍に与し、一時はオーストリア・ハンガリー帝国に占領されます。1918年、ポドゴリカ議会でセルビアとの統合を議決し、これに対して反乱が起こりますが 1924年に鎮圧します。第二次大戦後の1945年、ソ連の影響下に、モンテネグロとセルビアは別々に
ユーゴスラビア連合共和国の構成国となります。そしてソビエト連邦の解体にともない、またセルビアと連邦を組んでセルビア・モンテネグロになりました。
 1992年の国民投票では統合賛成の票は95.96%だったのですが、実はイスラム系、アルバニア人などはボイコットし、全体で言えば 66%だったようです。そして 2006年5月21日の国民投票では 55.5%が独立賛成、44.5%が反対という僅差で独立が選択されました。55%の賛成で成立ということになっていたのですが、票数にすれば 2,300票の差だったということです。
 国名ですが、Monteが山、negroが黒で黒い山という意味です。セルビア語では 1296年にセルビア王 Milutinの文書に Crna Goraこれが黒い山という意味で Montenegroはそれをラテン語、いやヴェネティア語で表したもののようです。海の方から見るとディナリック・アルプスと呼ばれる山脈が黒々と見え、ベネチア人がそう命名したらしいです。周辺の国はブルガリアではЧерна гора つまり Cherna gora、ギリシャ人はΜαυροβο?νιοなどと、いろいろな呼び方をしますが、すべて意味は黒山のようです。中国では「黒山」と表記しているらしいです。
 国旗はかつてのモンテネグロ王国のペトロヴィック王家 Petrovicの旗だということです。紋章については英語ですが説明したサイトがあります。
 セルビア・モンテネグロの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
セルビア・モンテネグロ大使館
ヨーロッパの地図 (番号で表示してありますので、右上の表を見てください。

↓モンテネグロの地図