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パキスタン(Pakistan) .pk

首都 イスラマバード (80万5千人 1998) (Islamabad)
 国際電話番号 +92

 アジア南部アラビア海に面する国。 公式名 パキスタン-イスラム共和国 The Islamic Republic of Pakista。国土面積 803,940 km2。人口 150,694,740(2003)。 もと英領インドの一部で, 1947 年自治領として独立, 56 年共和国になりました。 インドを隔てて East 〜 と West 〜 に分かれていましたが前者は 1971 年 Bangladesh として独立し、後者が現パキスタンとなりました。パンジャブ人 66%, シンド人(シンド州があって、シンド語を話す人は3500万人とも言われます。インドにも 280万人くらいいるそうです。), パシュトゥーン人など. 公用語: ウルドゥ語 Urdu, 英語 English. 宗教: イスラム教(国教; 大半がスンニー派)。 通貨: rupee。
 古代史について言えば、インドと共有しています。何しろインドの国名の由来でもあるインダス川流域に始まるインダス川文明の、そのインダス川はパキスタンの真ん中を南北に縦貫しています。有名なハラッパ、モヘンジョダロの遺跡もパキスタンの中です。BC1500年頃、アーリア人が来て、文明の中心は西のガンジス川の方に移って行き、BC 5世紀からペルシャ人が北部を占領し AD 2世紀まで続いたようです。BC 327年には、アレキサンダー大王のひきいるギリシャ軍が通り過ぎ、AD 712年には、アラブ人が現在のカラチ付近に上陸し、パキスタンの低地半分を200年にわたって統治しました。また、16世紀から19世紀にインド北部からアフガニスタン、バングラデシュなども含めた大版図を誇る、モンゴルの後継を称する大帝国、ムガール帝国も実は首都はパキスタンのラホールにありました。これらの間に、イスラム教はこの地に根を下ろしたわけです。
 18世紀にイギリス人がやってきて、その後約200年にわたりこの地に君臨しました。第二次世界大戦後の1947年にインドが独立すると同時にインドからパキスタンも分離して独立しました。この、もともとは同じ文明を持ち、人種もインドに近いもののあるパキスタンが分離したのは宗教のゆえです。宗教というのは人々を反目させるほかに、何かいいことをしたのか?ちょっと疑問になります。集団の中、抑圧の中での平安を得るのには役立つのでしょうが、別の集団に対してはうまくいかないようです。
 国名の由来は二つあって、一つはパンジャブ地方 Punjabの P、カシミール地方 Kashmirの K、シンド地方 Sindの K、それにペルシャ語系で、「・・の土地」を表す -stanを組み合わせたものというのと、もう一つは、Pakistanはウルドゥ語で清らかな土地という意味だということです。多分、主要な地方名を組み合わせて、縁起のいい意味になるよう考えたのではないでしょうか? 最近、偶然みつけたのでは、「生徒が輝くおもしろ授業シリーズ1/すぐに使える地理の話題」という本の目次例として「パキスタンの国名を考案したのはイギリスに留学した学生だった」というのが見つかりましたが、本を買う気にはなりません。先生方がトリビア知識で子供の興味を惹きつけるための種本のようです。だとすると、第一の説がそうでしょう。また、これが一番信用できそうですが、英語版Wikipediaではウルドゥ語、シンディ語とペルシャ語で「清らかな」の地というもので、第二の説です。1934年には Pakstanの名でコインに刻まれたということです。
 首都のイスラマバードははイスラムの都市という意味です。想像はつきますけど。
 国旗の意味は白は平和を、緑はイスラム教の聖なる色で繁栄を表わす。三日月は進歩と発展を、星は光明と知識を、そして同時にイスラム教を意味している。また、旗竿側(左側)の白い部分は、イスラム教徒以外の国民の存在を表わしている。ということです。
 パキスタンの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
パキスタンの歴史1 →パキスタンの歴史2 →アジアの地図

↓パキスタンの地図