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ポーランド(Poland) .pl

首都 ヴァルシャヴァ
ワルシャワ (158 万) (Warsaw)
 国際電話番号 +48

 ヨーロッパ中東部, バルト海に臨む国; 公式名 ポーランド共和国、国土面積 312,6833 km2。人口 38,122,000人(2006)。ポーランド人(スラヴ系). 言語: Polish. 宗教: 大部分がカトリック。 通貨: zloty。ポーランド語名 Polska。
 ポーランドは、強国、ロシア、ドイツに挟まれた可哀相な国と思いきや、かつては、ヨーロッパの強国だった時代があります。ポーランド人は、チェコ人やスロヴァキア人と同じ「西スラヴ人」に属するんだそうで、今のポーランドの地に西スラヴ人が定住していたことがはっきり確認できるのは紀元後6世紀から7世紀のことだそうです。9世紀頃には統一国家を形成したといいますから、かなり古い歴史を持っているわけです。12世紀には内紛で分裂してバルト海側にドイツ騎士団という、後のプロイセンあるいはプロシアの母体となる国みたいなのができ、1241年にはモンゴル軍に大敗を喫しますが、リトアニアと組んで1410年にドイツ騎士団を破ってバルト海への出口を回復しました。16世紀には最盛期を迎え、17世紀にはモスクワまで進出したりしますが、18世紀に入ると結束が失われ、長い苦難の歴史が始まります。周辺の、ロシア、オーストリア、それに今は大国になったプロイセンなどが干渉して、三度にわたって(1792,1793,1795)ポーランドを分割し、ポーランドの国名は地図から消えてしまいます。どう分割されたかはポーランドの分割のサイトに行って見てください。
 ナポレオンが台頭すると、祖国再建の夢を託して味方し、「ワルシャワ公国」の地位を得てドンブロスキ将軍のもと、イタリアまで遠征したりし、この時歌われた「ドンブロフスキのマズルカ」が、今日のポーランド国歌の元になったのはいいのですが、ナポレオンの敗北と運命を共にして、1815年のウィーン会議で、4度目のポーランド分割の憂き目を見ました。そして、独立は1918年、第一次世界大戦により、プロシア、オーストリー、ロシアの三帝国が崩壊するのを待たなければなりませんでした。ただ、この間、ポーランド文化は列強の同化政策にもめげず、ショパンを生み出したりしました。
 ところが、20年ほどで、1939年ナチス・ドイツはポーランド・ドイツ不可侵条約を破ってポーランドに侵入し第二次世界大戦が勃発、ソ連も独ソ不可侵条約に付された秘密条項に従ってポーランド東部を占領し、ポーランドはまたも分割され、地図から消えました。そして、ユダヤ人はナチスの手にかかり、ロシアもまた、カティンの森の大虐殺など過酷な運命が待っていました。
 第二次大戦後、ヤルタ協定により、国境は東側のウクライナなどにかかる部分はソ連に組み込まれ、西側はドイツ領の一部をもらって、西にずれる形で独立を果たしたのですが、実質はソ連圏に取り込まれ、ワレサ氏が指揮する火「連帯」の運動などを経て、ほんとの再独立は1989年、総選挙により、社会主義体制が崩壊して、現在の第三共和制」
になったときでしょう。
 国名はポルスカがポーランド人の呼び方ですが、「ポーレ」(平野、耕地)という語に由来し、「平原の国」を意味するんだそうです。
 国旗はポーランドの伝説的建国者レヒが、赤い夕日を背景に飛ぶ白い鷲を見て吉兆と思い、赤地に王冠付きの白鷲を紋章にしたという言い伝えに由来する。上半分の白は白鷲を、また下半分の赤は赤い夕日と自由を求める戦いで流れた血を表しているということですが、建国者 Lechについては巣をみつけたというのもあります。ワレサ委員長の名前も Lech Walesaのようです。左の紋章を白地の真ん中に描いたものも国旗として法律で定められていて、これは在外公館とか商船などが使うようです。今は王国ではありませんが、鷲が王冠を戴いているのはもともとのいわれからなのでしょう。さすがにソ連の支配下にあった時代は王冠がなかったということです。
 ポーランドの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。


ポーランドの地理と歴史 →ヨーロッパの地図

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