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チュニジア(Tunisia) .tn

首都 チュニス (55 万) (Tunis)

 北アフリカの国; 公式名 チュニジア共和国, 9,924,742人(2003)。国土面積 163,610 km2。アラブ系ととの混血が大半, ほかにアラブ人, ベルベル人, ヨーロッパ人(少数). 言語: Arabic (公用語), French. 宗教: イスラム教スンニー派(国教). 通貨: dinar。1881-1956 年フランス保護領。
 西洋史に出てくるカルタゴ Carthageはここです。住んでいたのはフェニキア人で、もともと今のレバノンに居たセム人です。フェニキア人は通商を得意とし、地中海のあちこちに植民地を作ったのですが、その最大のものがカルタゴで、ギリシャに対抗し、ハンニバルが象を引き連れてピレネー山脈を越えてローマに戦勝したりと、地中海の覇を争っていましたが、3次にわたるポエニ戦争で敗れ、最終的には大虐殺でフェニキア人はこの地から抹殺されたようです。何でもフェニキア人の宗教、ゾロアスター教だと思いますが、子供、それも初子を生け贄に捧げるという教義が嫌悪を招いたのも一因だったようです。一番大事なものを神に捧げるという思想だったらしいです。ポエニ Phoeniというのはラテン語、つまり、当時のローマ語でフェニキアという意味だということです。
 この PhoeniをGoogleで検索すると、Phoenix、つまりフェニックスではないか? というのが一番上に表示されます。一般にはフェニックスと言えば不死鳥、美しい鳥で死期を迎えると、自らわらを積んで火を放ち、その中に飛び込んで、若返って生まれ帰るという鳥ですが、もう一つ、ギリシャ神話の中ではゼウスが雄牛に化けてフェニキアのヨーロッパという娘を拐かす話があって、その父、いえ、多分、兄がフェニックスだったということで、フェニキアとフェニックスには大いに関係があるわけです。父はカドマスで息子のフェニックスに世界の果てまでもヨーロッパを探せと命じた話が見つかりました。また別の話としてフェニックスは椰子の1種で、古くからエジプト人たちによって豊かさのシンボルとされてきたのを、フェニキア人が広めたというのもあります。とにかく関係は大ありです。このサイトを見ていたら、Bible 聖書という言葉は ギリシャ語のパピルスが転じたものだとありました。備忘のため、ここに記しておきます。フェニックスは多分、今も中東方面で珍重されていて、最近では日本でも売られているデーツ、ナツメヤシの一種でしょう。このナツメヤシとフェニックスとの関係はフェニックスがこの木に巣を作る、というのと、倒れても自ら復活するとされていた、というのがネットで見つかりました。また、フェニキアというのはギリシャ語の「紫」から派生したらしい、というのも。フェニキア人はムラサキ貝(巻貝)から染料をとりだして地中海諸国に輸出していた。「不死鳥」や「ナツメヤシ」のことを phoenix というようになったのは、いずれも紫色をしているからだというのもありました。これ以上調べるとこんがらがりそうです。 7世紀にはアラブ人に征服されてウマイヤ朝のアフリカ帝国の一部になりました。また、中世にはオットーマン帝国の一部になっていました。
 19世紀に入ってもオットーマン帝国の一部ではありましたが、ほとんど自治国になり、1861年にアラブ世界で初めて憲法を制定しましたが、経済の貧困と政情不安定で 1869年には破産を宣言し、フランス、イギリス、イタリーが経済をコントロールすることになりました。1881年にはフランスがチュニジアの軍が当時のフランス植民地・アルジェリアの国境を侵したとして侵攻し、イタリアが抗議しましたが、フランスと戦争を構えることまではせず、結局、フランスの保護領になりました。
 第二次大戦中はヴィシー政府の側につき、ロンメル将軍がここで最後の戦いをしました。第二次大戦後、1954年にフランスの支配に対する抵抗が起き、1956年に独立を勝ち取りました。何と立憲君主国としてです。オスマン・トルコの地方長官たる太守というのが、まだ居て、それを王として戴いたわけです。ですが、1957年には廃され、首相のハビブ・ブルキバが一党独裁制を敷き、31年にわたって統治しました。彼は原理主義を抑え、アラブ国家には珍しく女性の権利を確立したということです。近年は非同盟を保って国情は落ち着いて
いるようです。 国名は首都チュニスの名に由来していて、そのチュニスはフェニキア人の女神タニトフ Tanitkh が、アラビア語読みでトゥノス、フランス語でチュニスと転訛したというということですが傍証はありません。タニト神 Tanit (Tophet)の神殿の遺跡が数百の墓碑とともにあるのは確かのようです。女神などではなくて、海神・ネプチューンの前身である、今はレバノンの Tyreの町を拓いてフェニキアの最初の王になった Teunisに因んだというのもあります。日本語版 wikipediaでは古代都市 トゥヌス Thunusが訛って Tunisになったとありますが、Thunusの由来については書いてありません。多分、タニス神(タニトフと同じ)あたりに行き着くのでしょう。
 国旗は歴史的に関りの深いトルコの国旗を参考にしてデザインされたもの。三日月は古代都市国家カルタゴを建設した、フェニキア人の美の女神タニスを象徴するということですが、傍証はありません。オスマン・トルコの時代、1830年代に定めた国旗と同じらしいです。
 チュニジアの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
チュニジア大使館
(Wikipedia)→リゾート地と遺跡の紹介サイト
アフリカの地図

↓チュニジアの地図