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セントヴィンセント-グレナディン(諸島) (St.Vincent & Grenadines) .vc

首都 キングスタウン (2 万) (Kingstown)

 西インド諸島南東部の Windward 諸島にある国, 1116,812人(2003)。面積 380 km2。黒人が大部分, インド系, 白人など. 言語: English. 宗教: 英国国教, メソディスト, カトリックなど. 通貨: dollar。もと英国植民地で 1979 年 10 月独立。
 18世紀まではカリブ・インディアンと総称して呼ばれる原住民が(ほかのサイトによると、最初はチボニー Chiboney族がいたところにアラワク族が来て、おおかた入れ替わっていたようです。)彼らはヨーロッパ人に頑強に抵抗していましたが、他の島々でヨーロッパ人が連れてきたアフリカなどからの奴隷が逃げ出してきて、ここに住み着き混交していわゆる、ブラック・カリブになりました。1719年からフランス人が植民してアフリカ奴隷を使ってコーヒー、タバコ、インディゴ、綿花、砂糖などの栽培を始めます。それから、1763年にイギリスに割譲され、1779年にはフランス支配に帰り、1783年にはまた、ヴェルサイユ条約でイギリスの支配に移るといった具合でした。フランスの Victor Huguesとかいう過激派に先導されたブラック・カリブの抵抗がありましたが、1796年、5,000人以上をホンジュラス沖の Roatnとかいう島に送り込みました。
 奴隷制度は1834年に一応廃止されましたが、労働力不足のため、1840年代にはポルトガル人の移民し、1860年代には
東インド人(east indianといってインド人とは限りません)が連れてこられます。ところが砂糖の価格が下がって移民と以前の奴隷の生活は厳しいものがあったようです。
 独立したのは1979年ですが、それ以前に1925年には議会みたいなのができ、1951年には選挙制度もできていたようです。イギリスとしては他の植民地と合わせて統治したかったようで、西インド連合 West Indies Federationといったものも作られましたが、うまく行きませんでした。
 この国は災害に悩まされることが多いようです。Soufriereという火山があって、これが時々噴火して、何千人もが死ぬとか、死なないまでも農業に大打撃を与えるとか、ハリケーンにも再々
、やられます。
 国名の由来は調べがついていません。想像すると、セントビンセントの方はローマ時代に迫害されてスペイン最初の殉教者になったセント・ビンセントの誕生日に見つけたとかなのでしょう。グレナディンの方はザクロの木が多かったというわけではなくて、この近くにグラナダという国がありましたが、これはポルトガル人が故郷のグラナダに因んで名付けたようですから、ここも同じ伝でしょう。スペインのグラナダの方はザクロという意味です。Grenadineという綴りからは手榴弾の方を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんが、形の類似から、手榴弾のことを言うようになったものです。
 国旗は三つの緑のダイヤモンド形が V 字形を作っています。これは Vincentの Vを象ったものです。三つあるのは3に意味があるのでなくて島がたくさんある。それも宝石のように美しい、というわけで、この国旗の愛称は The gemsです。青は空と海を、金色は人々の豊かな心とグレナディンの砂浜を、緑は豊かな農業と人々の活力を表しているそうです。1985年にスイスのデザイナーに作らせたということです。その前にコンペをやったけど、あまりうまくなかったようです。
カリブ海の地図

↓セントヴィンセント-グレナディンの地図