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ベトナム(Vietnam) .vn

首都 ハノイ (200 万) (Hanoi)

 インドシナ半島の国; 公式名 ヴェトナム社会主義共和国 Socialist Republic of Vietnam, 人口 82,689,518人(2004)。国土面積 329,560 km2。大部分がヴィェトナム人, ほかに中国人, クメール人, 山岳少数諸民族. 公用語: Vietnamese. 宗教: 仏教, 儒教, カトリックなど. 通貨: dong。1976 年 6 月北ベトナムと南ベトナムが統一されました。サイゴン・Saigonは南ベトナムの首都でした。
 正式名称はベトナム語でC?ng Ho X H?i Ch? Nghia Vi?t Namらしいですが、読めません。ベトナムは秦の始皇帝以来、長らく中国の支配を受けて、中国の一地方でしたので、言葉もかなりのところ漢字に置き換えることが可能だということで、この読めない文字を漢字にすると「共和社会主義越南」になるんだそうです。首都のハノイも元の漢字は河内だそうです。
 紀元前から、ソンコイ川=紅河の一帯にドンソン文化とよばれる銅鼓を特徴とする青銅器文化があって、部族国家がたくさんあったようです。伝説では海の精霊たる Lac Long Quanという竜と山の精霊たる Au Coの住む世界の違う精霊がが結婚して 100の子を成し、住む世界の違いゆえに、竜は50人をつれて海岸地帯に住み、Au Coの方は山岳地帯に移り住んで、それぞれの子が王になったということで、この時代の部族国家を指しているのかも知れません。山岳地帯に行ったのが今の少数民族ということになります。一般のベトナム人は竜の子孫ということになります。
 それが、秦始皇帝以後、千年にわたって中国の一地方として支配され、中国文化の影響は浸透したものの、完全に中国化はしませんでした。実はその間にもチュン・チャック=徴則、チュン・ニ=徴弐の徴姉妹が、AD40年に漢の支配に対して立ち上がり3年という短い間ですけど独立を果たしています。彼女たちは象に乗って戦い、戦い敗れたのちは紅河に身を投じた歴史的英雄です。それ以前にも、中国の支配だか、ベトナム人の王朝だかはっきりしない 5代続いた王朝が紀元前196年から111年にかけてありました。また、そののちも兄妹で兄は馬で妹は象に乗って反乱したとか、反乱の歴史があります。女性たちが、なかなかに活躍する社会だったようです。ここまではベトナム北部の話で、中部ベトナムは、オーストロネシア語族という言語のチャム人がインド文化に影響されたチャンパ王国を作っていました。中国の唐の時代の終わり頃、中国の支配が弱まって、939年に呉王朝が成立し、それが南のチャンパを次第に圧倒して南進し、17世紀にはほぼ現在のベトナム領土が完成しました。
 呉王朝以後は後継争いとか、いろいろあって王朝は入れ替わり、南北に分裂したりしていましたが、ともかくも中国に対しては独立を保っていました。1786年にタイソン朝が再統一を果たし、1802年にベトナム戦争まで続いたフランスの援助を得たグェン王朝(阮朝)が成立しました。この間、中国の清朝はベトナムの南北分裂を利して、支配を試みたようですが、テト正月の奇襲によりハノイで敗退しました。この作戦はベトナム戦争でもボー・グェン・ザップ将軍が踏襲しました。
 ポルトガル人が布教した歴史があるようですが、1600年代はじめににフランスがこの国に入ってきてカソリックを布教し、ベトナム語を記述するアルファベットを開発して、ベトナムが漢字圏から脱することになったようです。
 フランスの援助で成立したグェン王朝ですが、儒教を崇高し、フランスによるカソリック化の影響を消し去ろうと試みたようで、数万人のクリスチャンが虐殺されたということで、ヨーロッパ人の復讐心をかき立てました。また、鎖国政策をとり、時代遅れになっていきました。
 ナポレオンのフランスは1858年に軍を送り込み、以来、フランスの植民地時代になります。フランスの支配に対しても抵抗があり、Phan Boi Chauが日本にも抵抗組織を作ったようですが、フランスの圧力で中国に移送したりしています。彼は後に捕らえられましたが、その人気により処刑はされず、軟禁状態で1940年に世を去ったということです。
 1940年、第二次世界大戦が勃発、日本軍が、当時インドシナと呼んでいた、この国に進駐、フランスの傀儡政権だったバオダイ帝をそのまま、傀儡政権としました。そして1941年、フランス共産党の設立メンバーでもあったホーチーミンがヴェトミンと称する共産軍を率いて帰還し、解放戦争が始まります。日本軍が中共軍に敗れると、ホーチーミンはバオダイ帝を最高顧問としてハノイ政権に迎え、1946年に独立を果たします。
 南の方では日本軍はイギリス軍に降伏します。イギリスは支配の回復を狙うフランスを支援し、バオダイ帝を迎え、第一次ベトナム戦争と呼ばれる戦争が始まり、1954年、ディェン・ビェン・フーでフランスが敗れるまで続きます。この最後の戦いでフランスの司令官を務めたのがカストリ将軍で、当時、粗悪なカスから取ったカストリ焼酎のメチルアルコールで命を失ったり失明したりする人が多く、何ともシマラナイ名前だと思いましたが、案の定、負けました。そんな名前はほんとにあるのか?新聞記者がいたずら心で、そんな読み方をしたのか?と思って調べてみたら、Castriesという綴りで確かにカストリとしか読みようがない感じです。三省堂のフランス語の辞書にはCastriesは出てきませんが、castrereというのがあって「去勢する」とあって、これまたシマラナイ感じです。そんな意味の名前であるはずはなく、ディエン・フーの戦いでの作戦名が カストール作戦 Operation Castorですから、あの白鳥の星座になったスパルタ王妃のレダにゼウスが横恋慕して生ませた双子の片割れの名前が訛って Castriesになったのでしょう。何でもフランスで何代も続く軍人の名家のようです。
 
Wikipediaで、この作戦の記録を見ると、フランス軍の各拠点にはカストリ家の代々の女主人の名前をとって、西にはフゲッテ Huguette、南には クローディーヌ Claudine、北東にはドミニク Dominique、そのほか、アン・マリー Anne-Marie、ベアトリス Beatrice、ガブルエル Gabrielle、イザベル Isabelleなどと名付けていたようです。ここまで来るととても決死の戦いではなくフランスにとっては遊び半分とは言えないまでも引け際を作るための戦争だったのでしょう。さっさと撤退して、あとの経済関係とかは結構うまくやっているようです。
 バオダイ帝はゴー・ディン・ジェムを首相に任命しますが、その彼はバオダイ帝を廃して大統領を名乗ります。ジュネーブで統一政府の結成と選挙が合意されますが、フランスは同意したものの、南ベトナム政府は拒絶し、ドミノ理論による共産化を恐れるアメリカは反対し、第二次ベトナム戦争となり、1966年には50万の大軍を送り込みましたが、軍が北側に入ることは中国の介入を恐れてしませんでした。この時代、アメリカの支配に抗議して多数の仏教僧が焼身自殺しました。大統領実弟夫人=ゴ・ジン・ニュー夫人の「人間バーベキュー」(亡命後いったんはアメリカのビバリー・ヒルに住み、その後、ローマ、パリと移り住んで訃報は聞きません。当時はいろいろと語録を残して世界を騒がせました。娘はパリで自動車事故にあって亡くなっています。娘との写真があります。)という言葉が飛び出しました。そして1958年、テト正月の敗北により、アメリカは勝てないことを悟り、ニクソン大統領は中国との国交正常化し、ソ連とも宥和をはかり、1973年にアメリカ軍は撤退しました。その後の北は南への進撃を続け、1976年、社会主義共和国として統一されました。
 中国とベトナムとの摩擦は、この時代になっても続きます。1979年には短い期間ですが、中国軍が進入し、双方に多数の被害を出しています。ベトナムがカンボジアに進撃したからです。ベトナムはソビエト連邦の力が衰退すると、その援助が絶たれ、1989年にはカンボジアから撤退します。
 1986年になると、社会主義の計画経済を諦め、自由化をはかり、1995年には ASEANに加盟、2000年には株式市場も再開しましたが、言論統制は続いているようですし、いまだに一党独裁で、主として仏教を対象として宗教関係の弾圧も続いています。2004年、日本はその援助を人権に繋がるものにすることにし、アメリカは宗教の自由が侵される特別の関心のある国と指定
しています。
 国名は中国語で越南ですが、秦の時代には南越と呼んでいたようです。清朝の時代に、呉越同舟の越の国と区別するために、はるかに南の国という意味で越南ということにしたということです。これがベトナムです。呉王朝も呉越同舟とは関係ありません。
 国旗の赤は革命で流された尊い血を表わし、黄色の星の5条の光はそれぞれ労働者、農民、知識人、青年、兵士の5階層の団結を象徴するということで、通称は「金星紅旗」だそうです。

 ベトナムの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
ベトナム社会主義共和国大使館
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