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ワリー エ フトゥーナ諸島(Wallis & Futuna Islands)
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 南西太平洋, Fiji と Samoa の間の 2 つの島群から成るフランスの海外領。人口 15,500人、面積 274 km2。ポリネシア人 93%、フランス人 7%。言語はフランス語、宗教はローマ・カソリック教。
 考古学的発掘ではトンガと同じく、BC1400まで遡る遺物があり、ラピタ文明の陶片があるので、最初に来たのはだとわかるそうです。15世紀にトンガ人が進出してきて征服しました。のちにトンガからの独立は果たしたのですが、トンガ人が上流階層を形成しているようです。
 1767年にイギリス人・キャプテン Samuel Wallisがタヒチ島に次いで、ワリー島:Wallisを発見しました。その後、1820年代まではヨーロッパとの接触はほとんどなかったようです。
 フツナ島とアロフィ島の方はサモア人が最初に来たようですが、マーシャル諸島やトンガからも来た可能性があります。こちらは1616年にWillem Cornelius van Schoutenという長い名前のオランダ人(ウィレム・コルネリウス・ファン・シャウテンですかね?)と Jacob le Maireがやってきて、オランダの町の名前をとって Hoorn島と名付けました。
 1825年ごろから捕鯨船、商船などが、ひんぱんにこの海域に来るようになり、ワリー島を補給基地にするようになりました。1837年から始まったローマ・カソリックの布教で全人口がキリスト教に改宗し、それが外国船のふらちな行為をかなりふせいだようです。
 フランスの保護領になったのは住民の要求によるもののようで、ワリー島の住民が1842年に保護を求めて、1887年に正式に保護領になり、フツナの方の酋長?たちも保護を求めて認められました。管理の都合上、
ニュー・カレドニアと一緒に管理されているようです。しかし、ニュー・カレドニアへの海路がつながったのは1931年のことです。
 第二次世界大戦中は日本の占領を防ぐためアメリカの海兵隊が来て、あとから来た自由フランス軍と合流して空軍基地を作りました。そのお陰で、島のインフラストラクチャはかなり整備されたようです。そして1961年、住民投票によりワリー島、フツナ島ともフランスの海外領土となりました。
 島の旗は公式にはフランスのトリコロールですが、上の旗も並べて掲揚するようです。赤は勇気を、白は純潔を意味しています。そして四つの三角形が集まった紋章ですが、これは土地の三人の King 酋長?とフランスの総督を表しているということです。
オセアニアの地図(小さいので Wallis Is.と略されています。真ん中あたりです。)
↓ワリー エ フトゥーナ諸島の地図
地図